角館感恩講の歴史

§ 角館感恩講のはじまり §

 明治18年角館町の有志が集まり、秋田感恩講那波氏を招き、角館感恩講の設立を協議したのが始まりです。那波氏は大いに賛助、尽力して下さり、まもなく角館感恩講が設立されました。さらに、明治31年、民法による財団法人となり、基盤の強化が図られました。 運営の財源は出資金による公債二千八百円の利子が主たるものですが、町内篤志家からの寄付金品とで約200円が年間経費に当てられています。当時としてはかなりの金額であったと思います。

§ 活動の目的 §

 窮民救恤(低所得、障害等により生活に困っている方を救済すること)を唯一の目的とし、資産は発起人・賛成人は町や近郷近在の多くの賛同者であり、民間庶民の手で始められた救済事業であったことが推察されます。当時の記載では、歳末に米や餅、募金等を集め、生活困窮者に配達したとあり、現在の歳末助け合い運動や社協の前身となる活動をしていたものと思われます。先人、先輩の偉業に敬意と感謝を表したいと思います。

§ 感恩講の変遷 §

 その後、太平洋戦争が激しくなるとともにインフレが加速され、県内の他の感恩講と同様しばらく休業をしています。県内の多くの感恩講の財源が水田と国債であったため、解散を余儀なくされましたが、角館感恩講は大風呂の土地のおかげで復活することができました。ちなみに、現在は、秋田、能代、大館、角館、浅舞の5つが残るのみです。戦後は所有地で母子寮を建て、町に貸与していました。昭和55年、町からの返還交渉がまとまり、昭和57年駐車場として運営をしていくことになりました。

 次いで、町から道路敷地譲渡代金が入り、資金の国債当での運用によって角館町社会福祉協議会への助成金や角館町育英会等への寄付金を送る事業をはじめました。当初助成金と寄付金の合計は115万円でした。平成18年度は、社協へ180万円、日赤奉仕団へ3万円、手をつなぐ育成会へ1万円の事業助成金、角館町育英会へ20万円の寄付金を贈っています。

 この助成事業と寄付金贈呈事業が現在の角館感恩講の事業であります。その財源は、土地の貸し付けによる地代金、観桜会時臨時駐車場事業収益金、内外の国債、公社債、投資信託等の利金であります。

§ 角館感恩講の現在 §

 平成25年11月、公益法人法の改正により一般財団法人として改めて移行認可申請をしました。翌年4月1日、改正公益法人法による一般財団法人として認可され、公益目的支出計画に基づき、今までの事業に加え、要援護者交通支援事業を開始し、三つの事業を運営しています。

秋田県内の感恩講

 文政十二年(1829年)に那波三郎右衛門祐生が中心となって秋田市に感恩講が作られ、その後秋田県内各地に感恩講が設立されました。現在、角館感恩講を含め5つの感恩講が運営されています。

感恩講についての書籍・情報
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